【日本球界を代表するピッチャー】巨人 菅野智之
この記事では読売ジャイアンツ(巨人)に所属する菅野智之選手について取り上げたいと思います。いまや日本のエースとも呼ばれ球界を代表する投手として知られていますね。
そんな菅野選手も年齢がそろそろ30歳に近づいてきており中堅からベテランに差し掛かってきていますがまだ結婚はされていないようです。
そこで菅野選手に彼女はいるのか、いるのならばどんな女性なのか、噂を含め熱愛に関する情報をお届けします。
もちろん菅野選手の出身高校や大学など経歴やこれまでの野球歴なんかもご紹介します。さらに気になる方も多い年俸推移や愛車遍歴などについても調べてみましたのでお楽しみに。
引用:〈https://baseballking.jp/ns/175950〉
プロフィール
名前:菅野 智之(すがの ともゆき)
生年月日:1989年10月11日
年齢:30歳
出身地:神奈川県相模原市
血液型:A型
身長/体重:186cm / 92kg
出身高校:東海大相模高校
出身大学:東海大学
趣味・特技:ゴルフ、ソーシャルゲーム
ポジション:投手
背番号:18(※2019年から19→18に変更)
所属チーム:読売ジャイアンツ(巨人)
経歴
菅野選手は2017年シーズンに自己最多の17勝を挙げ自身初の沢村賞を獲得するなど今では本人自体がすごい選手にまで成長しましたが、少し前までは元巨人の選手で引退後は巨人の監督や侍ジャパンの監督を務めた原辰徳さんの甥というイメージが強かった気がします。
原さんについて今の若い人たちは監督としての彼しか知らない人も多いかと思いますが、現役通算382本の本塁打を放ち、巨人の中で歴代4位の4番としての出場試合数を誇るスラッガーでした。
2018年には監督としての多くの偉業が称えられ野球殿堂入りを果たしました。
ここでまず菅野選手と原辰徳さんの関係などご家族について紹介したいと思います。
原さんは菅野選手の伯父であり、菅野選手の母親である詠美さんの実兄に当たります。詠美さんのエピソードで興味深いものがあったので紹介します。
菅野選手が小学生当時、とある野球チームに所属していた時、そのチームの監督が菅野選手の練習中の怠慢プレーに怒り殴ったそうでそのせいで鼻を骨折してしまった時があったそうです。
その際、詠美さんは「気にしないでください、これからも厳しくご指導してください。骨折はボールがあたったことにしてください」と言い放ったそうです。
これだけ聞くとちょっとひどい母親のようにも感じますが、もちろん厳しい一面だけではありませんでした。
菅野選手はことあるごとに原辰徳の甥という風に取り上げられ、周囲の目が厳しくなる中、そういったプレッシャーに対し悩む時があったそうです。
そんな時、詠美さんは「大切なのは野球が好きかどうかであり、周囲のことは関係ない」と菅野選手に進言してあげたそうです。
原さんや菅野選手が東海大相模高校出身ということはよく知られていますが菅野選手の父親である隆志さんも東海大相模出身でエースだったそうです。
隆志さんは高校卒業後、息子と同じ東海大学へは進まなかったのですが法政大学で野球をされたそうです。
隆志さんが東海大相模在籍時の監督は奥さんである詠美さんや原さんのお父さんである故・原貢さんが務めていました。
貢さんはアマチュア野球界ではとても有名な方で高校では福岡県立三池工業高等学校と東海大学付属相模高等学校で監督を務め、共に甲子園優勝に導きました。
また東海大学野球部でも指揮を執りました。
菅野選手には姉が1人いるそうです。このお姉さんにも原一族の血が流れているために活発だったのか子供時分に弟である菅野選手がおかずの大半を食べらてしまったというエピソードがあるそうです。
菅野選手の家系を見ると野球をやるのが宿命みたいに感じますが、伯父である原辰徳さんの引退試合を観戦したことがきっかけで本格的に野球を始めたそうです。
小学生の頃は軟式の少年野球クラブ「東林ファルコンズ」というチームに入っていたそうです。菅野選手はその当時から投手を務めていたとのことです。ちなみに「東林ファルコンズ」は現在も存続しているようです。
菅野選手は新町中学というところに進みそこでも野球を続け、3年の夏に県大会で優勝、さらに関東大会ではベスト8と好成績を残しました。高校は神奈川の強豪・東海大相模高校に進学します。2年の秋からはエースとなり才能の片鱗を見せながらも結局3年間一度も甲子園へはいけませんでした。
大学はそのまま系列の東海大学へと進みます。菅野選手は大学時代にいよいよ本格化し大物を予感させるようになります。最速157㎞を計測した他、4年の秋にリーグ新記録となる14完封を達成、首都大学リーグでの通算成績は37勝4敗、防御率0.57、347奪三振という圧倒的な数字を残しました。
当然そんなすごい成績を残した菅野選手をプロのスカウトが放っておくはずがありません。しかも原辰徳の甥という話題性もあります。2011年のドラフト会議において菅野選手は読売ジャイアンツと北海道日本ハムファイターズの2球団から1位指名を受けました。
くじ引き抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得しましたが、当時伯父である原辰徳さんが監督を務めていた巨人への思いが強く菅野選手は日本ハムへの入団を拒否しました。
当時色々な批判もあったようですが、自分が野球をするきっかけとなった伯父の元で野球がしたいという菅野選手の気持ちはとてもよく分かるものです。
結局菅野選手は浪人という形をとり、1年後のドラフトで念願の巨人入りを果たしました。
菅野選手は2013年のルーキーイヤーから1軍でローテーションを守り初年度は13勝を挙げ、新人王争いをする活躍をしました。2014年は開幕投手を務めるなどチームの柱として12勝を上げます。
2016年に連続二桁勝利が途切れますが、翌年の2017年に17勝5敗、防御率1.59という過去最高の成績を残し見事沢村賞を獲得しました。さらに2018年にも2年連続となる沢村賞を獲得しています。
主な獲得タイトル
最優秀防御率:4回(2014年、2016年、2017年、2018年)
最多勝利:2回(2017年、2018年)
最多奪三振:2回(2016年、2018年)
最優秀選手:1回(2014年)
沢村栄治賞:2回 (2017年、2018年)
ベストナイン:3回(2014年、2017年、2018年)
クライマックスシリーズMVP:1回(2013年)
ゴールデングラブ賞:3回 (2016年、2017年、2018年)
月間MVP:6回(2014年3・4月、2016年3・4月、2017年5月、7月、9・10月、2018年9・10月)
ここからは少し野球を離れた菅野選手の情報をお届けします。菅野選手の好物はハンバーグとのことです。